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Twitterタグ企画「#君のためにコーヒーを淹れよう」参加作品『かんざしを贈る』

執筆者の写真: 紅瑚 橙乃紅瑚 橙乃

こんにちは、橙乃紅瑚(とうのべにこ)です。


Twitterの方で「君のためにコーヒーを淹れよう」という素敵なタグ企画がありましたので参加させていただきました。

五四 餡(こしあん)様、素敵な企画をありがとうございます。Twitterにアップした作品に微修正を加えたものをこちらで公開いたします。


『かんざしを贈る』

男女/両片思い ===============


「何で『珈琲』って書くか知ってるか?」


 豆の袋を指差しながら訊くと、彼女は微笑みながら分からないと言った。


「コーヒーの実がなる様子がかんざしに似ているから、らしいぜ。こっちの『珈』は玉飾り。んでこっちの『琲』は紐って意味らしい」

「ふうん、素敵な豆知識ね」


 彼女はそう言ってまたコーヒーを飲み始めた。白いカップに真っ赤な唇が付けられる。目を伏せながら、ゆっくりとコーヒーの味を愉しむ仕草はどこか色っぽくて。俺は赤い唇を見つめながらぼんやりと考えた。


(口紅が付くと落とし辛いから嫌なのに。でも……こいつがいた証だと思うと嬉しくなる)


 カップにくっきりと付いた口紅の跡を想像して笑う。すると彼女は不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの? あたしの顔に何かついてる?」

「ああ、いや……。お前の耳にぶら下がってるそれも、コーヒーの実に似てると思ってさ」

「あははっ、そう?」


 赤く熟したコーヒーの実を思わせるような、血赤珊瑚の粒がいくつも付けられたそれ。耳元を彩るイヤリングと共に、彼女の白い首と顎のほくろ、綺麗に弧を描く唇が目に入る。馴染みのそれは何度見ても美しい。胸がどきりと跳ねるのを感じ、俺は机の上のカップに目を落とした。


(今日も綺麗だ。こんな綺麗な女が、どうして俺のところに来るんだろうな)


 つややかな黒髪、濃い目の化粧に負けないくらいはっきりと整った顔立ち。押しは強いが、さっぱりとしていて明るい。彼女はどこに行ったって人気者で、俺みたいなつまらない男に構わなくてもいいはずなのに。鮮烈な唇の色を思いながら、俺は心の中でため息を吐いた。


 彼女とは大学のゼミで知り合って以来の仲だった。大学時代、駅に近い俺の家はグループメンバーの溜まり場にされていて、そのメンバーのひとりが彼女だった。

 派手な彼女と地味な俺の繋がりはコーヒーだった。俺が淹れるコーヒーが美味しい、ただそれだけの理由で彼女は頻繁に俺の家を訪ねてくるようになった。


 ――やっほ、今日も来てやったわよ。コーヒー飲ませてくれるでしょ?


 彼女はいつもそうやってインターホンを鳴らす。そしてコーヒーをゆっくり飲んだ後は、恋人でもない男の家に朝まで居座る。物が少なかった部屋は彼女が持ち込んだ服やら化粧品やらに溢れるようになって、俺自身も彼女がやってくることに慣れ切ってしまった。


(だけど、このままじゃいけないのは分かってる)


 あれから五年。ゼミが解散しても、大学を卒業してそれぞれが自分の道を歩み始めても。彼女は変わらず俺の家にやって来た。

 コーヒーを淹れて、もてなして、一緒にテレビを見たり話しながら過ごす。その繰り返し。彼女との時間は楽しかったが、いつまでも変わらない関係に自分の心が段々と褪せていくような気もした。


 ずっと彼女のことが好きだった。

 コーヒーが美味しいと喜ぶ顔を見たあの日から、俺は彼女に恋をし続けている。少ない給料を高額なコーヒーマシンや道具に注ぎ込み、様々な豆を揃えて、彼女が家にやってくる時を心待ちにしながら日々を過ごしている。


 だけど告白する勇気が持てない。失敗して、彼女が離れていくかもしれない、俺の家にやって来ることがなくなるかもしれないと思うと口を噤んでしまう。降り積もった五年間の思い出が俺を尚更臆病にさせた。


 最近、これからのことを考えると辛くなる。彼女は何を思って俺の家に来るのか。俺のことをどう思っているのか。いつまでこの甘く苦い日々が続くのか。彼女が帰った後、ひとり口紅の付いたカップを洗う時間が寂しくて仕方ない。いつまでもこんな生活を送る訳にはいかない。このままでは諦められないところまで、引き返せないところまで彼女に溺れてしまうから――。


 俺は深く息を吐いた。


「ちょっと、急に黙り込んでどうしたの? あんたさっきから何か変よ?」

「……ああ、いや。何でもない」

「そんな変な顔して何でもない訳ないでしょ。何? あたしに言いたいことがあるなら言ってよ」


 俺は彼女から目を逸らしコーヒー豆の入った袋を見た。今までに何袋も何袋も買ってきたそれ。彼女が特に気に入っているコーヒー豆。


「お前が気に入ってる豆がさ、丁度無くなったんだ。だから……」


 終わりにしようか。

 俺は浮かんできた声に心の中で笑った。始まってもいないのに、保身から彼女を拒絶するような自分が醜いと思った。


「……っ」


 声が出ない。はっきりしない態度は彼女が何よりも嫌うものなのに、何を言えばいいのか分からなくてただ俯く。だが彼女は怒ることなく、手を伸ばして俺の顔を上げさせた。


「だから……、もうここに来ないでくれって言うんじゃないでしょうね」


 彼女らしくないか細い声だった。目は潤み、口紅が落ちた桃色の唇は震えている。不安を露わにするその顔に、俺は胸がとくりと跳ねるのを感じた。


「……ねえ。そんなこと、言わないでしょう……?」


 もしかしたら、彼女も俺と同じことを思っているのではないか。

 そう思った瞬間、せき止めてきた想いが俺の口を衝いた。


「違う。お前お気に入りの豆が無くなったから、一緒に買いに行こうって言おうと思ったんだ。ついでに酒とつまみも買っておこうぜ。ああ、そういやお前専用のシャンプーも切らしてたっけな」


 俺の答えに彼女はほっとした笑みを浮かべた。心の裏側を撫でくすぐられるようなその顔に、彼女を諦めるなんて決してできないのだと思い知った。


「ねえ……買い物に行くならついでに寄りたいところがあるの。駅前のかんざし屋さんに行きたいんだけど」

「かんざし? 何でまた」

「あたし、随分と髪が伸びたでしょ? 折角だからかんざしでまとめてみようと思って。あたしが着けるかんざし、あんたが選んでくれたら嬉しいんだけど」


 彼女は俺の手を握り込み可愛らしく笑った。その笑みは、俺が淹れるコーヒーが美味しいと言ったあの時の顔にぴったりと重なっていく。


「ああ、いいぜ。お前に似合うかんざしを選んでやる。コーヒーの実みたいな赤い玉飾りがたっぷり付いたやつがあればいいな」

「ふふっ、何それ」


 小さく滑らかなその手をしっかりと握り返す。彼女を手放さないように。


「なあ、俺さ、お前のこと――」


 五年間抱え続けてきた彼女への想いを口にする。

 怖れは、もう無かった。


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